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nudes
Michiyo
Fujihara
nudes


写真展“Nudes”より


冨士原美千代がIllusionという作品群で僕らの前に現れたのは、ほんの数年前の事だ。彼女はシュールレアリズムの永遠のテーマー別々に存在する2つ以上のイメージを出会わせ、新しい意味を持たせる?を追求する写真家として登場した。ルネ、マグリットやハリーカラハンらのシュールリアリストたちが『アートとは何か?』という質問にたいする新しい答えとして、繰り返し繰り返し見せてきた手法なのだけど、彼女はあきらかに1980年代の視点でそれを呈示してくれたものだった。

今回のNudesも、やはり彼女らしいシュールレアリズムなのだけど、前回のような異質なイメージの並列という手法ではなく、部分的なイメージの置換に挑んでいる。つまり、本来あるべき色がそこに無く、別の色がとってかわっている。そしてそこに、ぼくたちが体験したことのないセクシャリティーを生みだした。
強調された女性の肉体のラインにそって、インディゴ.ブルーの象徴する意味、ワインレッドの象徴する意味をたどっていくセックスは、とても気持ちがいい。本能や肉体から切り離された、きわめて大脳的なセックスが気持ちいい。

どうか、あなたも冨士原美千代の描いたNudesを目からとりいれ、大脳でおもいきり抱きしめていただきたいと思う。


Text By S.N



私の中にあるBlue( 当時の制作ノートより)


わたしは、ヌードを撮ることを避けていた。それは、裸イコール恥ずかしいもの、という意識から抜け出さないでいたからに他ならなかった。加えて、自分の性的な部分が作品に投影されることも恐れていた。これまでの作品では、自分の精神的な世界を表現していた。ところが、次第にわたしの興味の対象が、精神を支えている肉体へと向かっていったのだった。
肉体とは単に精神を宿し、それを包み込む物体でははく、意識のうつろいにつれて変幻していくもの。
それは形のない意識を最も忠実に伝える表現物なのではないだろうかと思い至った。
わたしは肉体をとおした作品に挑戦してみることにした。
わたしの描いたスケッチを基に、モデルの体にボディーペインティングを施し、海で、森で、そしてスタジオで撮影を行った。モデルは私の分身だった。悲しみに沈んでいる、孤独を感じている、浮遊している、私は私自身を想像してモデルにポーズをつけていった。
しかし、何かが足りなかった
それは、色だった。
青。
それも透明感のある、深い青、まるで海の底にいるような。
わたしは納得のいく透明感のある色を出すために、暗室に籠って試行錯誤を繰り返した。やがて、マスキングデュープを白黒フィルムで行なうことから、一つの技巧に行き当たり、思い通りの色を出すことができた。
これだと思う色を得ることができると、制作は私の意図した通りに進み、Nudesは完成した。それは、まるで、様々な色の人間が海の底に浮遊しているような不思議な写真だった。


冨士原美千代





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